ご挨拶greetings
韮崎大村財団の目的の一つは、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智博士を顕彰することにあり、智博士の略歴は次の通りです。
1935年(昭和10年)山梨県韮崎市生まれ。山梨県立韮崎高等学校、山梨大学卒、東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了。薬学博士・理学博士。
微生物が生産する天然有機化合物の研究を専門とし、今日までに520種を超える新規化合物を発見。そのうち26種が医薬、動物薬、農薬、研究用試薬として市販され、感染症の予防や撲滅、生命現象の解明、食糧の増産などに貢献している。2015年にメルク社元研究員のウィリアム・キャンベル博士と共にノーベル生理学・医学賞を受賞。同年、文化勲章受章、2001年日本学士院会員、2012年文化功労者、他国内外の受賞多数。
現在、北里大学特別栄誉教授、日本学士院会員、(学)女子美術大学名誉理事長、韮崎大村美術館館長。
さて、私の兄である大村智がノーベル賞の受賞を可能にした心構えと二つの行動様式について、述べてみたい。
先ず心構えですが、祖母の「人の役立つことをしなさい」を始めとして、両親によって温かくも厳しい日常生活の中で育まれた精神と、家族や隣人を愛し、郷土を思い、世界の安寧を願う心にあり、いつも何をするにも苦労を厭わない心構えにあるように思います。
次に二つの行動様式としては、「私の履歴書」(日本経済新聞出版社、2017年)からも窺えますが、ステップアップを求めて頻繁に転職したこと、歳も立場も圧倒的に上位の人であることに臆せず、多くの人と会う機会を積極的に求めて行動したことが挙げられ、それらの行動が恩師であるティシュラー教授との出会いに繋がり、その後の研究人生に、決定的な役割を果したものと思われ、兄が言う“一期一会”を自ら行った結果であろうと思います。
「私の履歴書」では、郷里を大切にする思いを語り、“至誠惻怛(しせいそくだつ)”という言葉で結んでいます。誠を尽くし、いたわりの心をもって人に接する。そうすれば必ず道は開けると言う意味かと思います。まさに兄のいきざまを良く表した言葉であろうと思います。
兄との“ともいき”の時間を大切にしたいと思っています。
近年、地球の温暖化とともに、再生可能エネルギーの開発が叫ばれているが、同社の業容は主に風力発電、太陽光発電の事業化コンサルティングにあり、北は青森から南は鹿児島迄数多くの発電事業を手掛けており、当地韮崎市でも自社事業として太陽光発電を手掛けている。
著書に「システム思考入門」(悠々社、1992年)、「一般システムの現象学」(技法堂出版、2005年)、他がある。
1935年(昭和10年)山梨県韮崎市生まれ。山梨県立韮崎高等学校、山梨大学卒、東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了。薬学博士・理学博士。
微生物が生産する天然有機化合物の研究を専門とし、今日までに520種を超える新規化合物を発見。そのうち26種が医薬、動物薬、農薬、研究用試薬として市販され、感染症の予防や撲滅、生命現象の解明、食糧の増産などに貢献している。2015年にメルク社元研究員のウィリアム・キャンベル博士と共にノーベル生理学・医学賞を受賞。同年、文化勲章受章、2001年日本学士院会員、2012年文化功労者、他国内外の受賞多数。
現在、北里大学特別栄誉教授、日本学士院会員、(学)女子美術大学名誉理事長、韮崎大村美術館館長。
さて、私の兄である大村智がノーベル賞の受賞を可能にした心構えと二つの行動様式について、述べてみたい。
先ず心構えですが、祖母の「人の役立つことをしなさい」を始めとして、両親によって温かくも厳しい日常生活の中で育まれた精神と、家族や隣人を愛し、郷土を思い、世界の安寧を願う心にあり、いつも何をするにも苦労を厭わない心構えにあるように思います。
次に二つの行動様式としては、「私の履歴書」(日本経済新聞出版社、2017年)からも窺えますが、ステップアップを求めて頻繁に転職したこと、歳も立場も圧倒的に上位の人であることに臆せず、多くの人と会う機会を積極的に求めて行動したことが挙げられ、それらの行動が恩師であるティシュラー教授との出会いに繋がり、その後の研究人生に、決定的な役割を果したものと思われ、兄が言う“一期一会”を自ら行った結果であろうと思います。
「私の履歴書」では、郷里を大切にする思いを語り、“至誠惻怛(しせいそくだつ)”という言葉で結んでいます。誠を尽くし、いたわりの心をもって人に接する。そうすれば必ず道は開けると言う意味かと思います。まさに兄のいきざまを良く表した言葉であろうと思います。
兄との“ともいき”の時間を大切にしたいと思っています。
一般財団法人韮崎大村財団
名誉理事長
大村 朔平
【名誉理事長略歴】
1939年(昭和14年)山梨県韮崎市生まれ。山梨県立韮崎高等学校、山梨大学卒。 永年専業エンジニアリング会社日揮(現日揮ホールディングス)に在職し、化学プラントのプロセス開発に従事。1980年東京都立大学より「新しい蒸留計算法に関する研究」で工学博士の学位を授与。1997年同社を退社し、(株)システムズを設立し、現在に至る。近年、地球の温暖化とともに、再生可能エネルギーの開発が叫ばれているが、同社の業容は主に風力発電、太陽光発電の事業化コンサルティングにあり、北は青森から南は鹿児島迄数多くの発電事業を手掛けており、当地韮崎市でも自社事業として太陽光発電を手掛けている。
著書に「システム思考入門」(悠々社、1992年)、「一般システムの現象学」(技法堂出版、2005年)、他がある。
韮崎大村財団は、大村智博士を顕彰することはもとより、文化的で活力ある“ふるさと創り”に寄与することを目指しており、韮崎大村記念公園を整備し、運営することもその一つです。
記念公園は、なだらかな丘陵地にあり、左に八ヶ岳、右に富士山、そして真正面には茅ヶ岳が鎮座し、誠に眺望の良いところに位置しており、その周りは幸福の小径ウォークングコースとなっており、国の指定重要文化財である武田八幡宮や願成寺、それに樹齢330年を誇る「わに塚のサクラ」があります。
記念公園のキャッチフレーズは、“「さと」のこころを育む知の創造と和みの空間”にあります。地域を代表する養蚕農家の伝統を受け継ぐ建物として解体修理・復元された智博士の生家・蔵は、韮崎市により令和2年に国の登録有形文化財に登録され、「螢雪寮」として地域の人たちの集いやワークショップの場として活用されているのを始め、日本の近現代に活躍した女性芸術家の作品を収蔵していることで有名な韮崎大村美術館、天然掛け流しの白山温泉、味自慢のそば処「上小路」の他に、韮崎市に協力し、東京にある畠山記念館から移築する新座敷(韮崎市指定文化財)等を整備することにしております。
記念公園が、復古創新の雰囲気の中で、創造する場とともに、出会い、触れ合いの場を提供し、智博士の言われる“一期一会”の場であらんことを期待しております。
以上述べましたように、韮崎大村財団は、韮崎市に協力し、“ふるさと創り”にも邁進してまいりますので、皆さまの絶大なるご支援とご協力をお願い申しあげます。
記念公園は、なだらかな丘陵地にあり、左に八ヶ岳、右に富士山、そして真正面には茅ヶ岳が鎮座し、誠に眺望の良いところに位置しており、その周りは幸福の小径ウォークングコースとなっており、国の指定重要文化財である武田八幡宮や願成寺、それに樹齢330年を誇る「わに塚のサクラ」があります。
記念公園のキャッチフレーズは、“「さと」のこころを育む知の創造と和みの空間”にあります。地域を代表する養蚕農家の伝統を受け継ぐ建物として解体修理・復元された智博士の生家・蔵は、韮崎市により令和2年に国の登録有形文化財に登録され、「螢雪寮」として地域の人たちの集いやワークショップの場として活用されているのを始め、日本の近現代に活躍した女性芸術家の作品を収蔵していることで有名な韮崎大村美術館、天然掛け流しの白山温泉、味自慢のそば処「上小路」の他に、韮崎市に協力し、東京にある畠山記念館から移築する新座敷(韮崎市指定文化財)等を整備することにしております。
記念公園が、復古創新の雰囲気の中で、創造する場とともに、出会い、触れ合いの場を提供し、智博士の言われる“一期一会”の場であらんことを期待しております。
以上述べましたように、韮崎大村財団は、韮崎市に協力し、“ふるさと創り”にも邁進してまいりますので、皆さまの絶大なるご支援とご協力をお願い申しあげます。
一般財団法人韮崎大村財団
理事長
上野 政巳
【理事長略歴】
学歴・職歴- 1953年3月 山梨県北杜市生まれ
- 1971年3月 山梨県立北杜高等学校卒業(旧峡北高等学校)
- 1972年3月 上野製作所として個人創業
- 1981年2月 上野電子株式会社を設立(代表取締役)
- 1985年9月 コスモ株式会社を設立(代表取締役)
- 2018年9月 上野電子株式会社、コスモ株式会社の代表取締役を退任 両社の取締役会長に就任し、現在に至る
- 一般財団法人韮崎大村財団代表理事
- (元)甲府商工会議所常議員(旧峡北高等学校)
- 韮崎市商工会副会長
- 韮崎高等学校定時制PTA会長
- 保護司(2012~)、その他地元地域の役職を拝命